雑念の供養

いつかどこかの誰かのために。遠くて深くて届かない声の記録。

心の闇

やばいやばいやばい。 また◯にたい発作だ。もう本当に嫌になる。頭ちぎりたい。

ただ、これで精神科に行って薬もらって思考停止させるのはちょっと違う。 カウンセリングもいく気力や続ける体力が無い。

心が常に重い。果てしなく重い。 真の感情がわからない。そんなものは幼少期に捨て去ってしまった。2度と手に入らない。

自ら不幸になることを望んでいる、あるいは選択してしまっている思考回路壊したい。 決して好きでこうなっているわけじゃないのに、この思考回路の基盤が強靭すぎて容易には破壊できない。

だからこうして発作が起きてしまったときは、頭で自己完結するのではなく、 文字にして自分の感情をぶつけることにした。

ゴミすぎる自分、クズすぎる自分、どれだけ褒められてもそうとしか思えない。 否定することで自分を肯定してきた人生。なんて悲しくて不幸せな選択なのだろうか。

悲劇のヒロインを演じているわけでも、演じたいわけでも1ミリも思っていないのに。 どうしてこんな思考回路しかさせてくれないのだろう。苦しい生きづらい。泣くにも泣けない。

一生こんな気持ちが支配する人生なら、本当にいらない。 でも本心は生きたいんだよ。ただ、この気持ちや考え方をしてしまう人生はいらない。

もう2度と手に入らない親からの承認欲求や愛情に飢え続けて死ぬと考えると非常に悔しい。 打ち勝ちたいけど、勝てる気がしないんだよ。

いつも孤独に闘ってる。誰も知らない誰も見ていないところで自分自身と。 ライフはとっくの昔にゼロになっているのに、それでも何度も何度も這い上がって闘ってる。

血反吐吐きながら、ボロボロの精神状態になっても1日も休むことなく、負の自分と闘ってる。 不毛でしかない。何もしたくない。いいかげん普通に生きさせてくれ。 いや、だめだ。いっそのこと誰か◯してくれ。

推敲しようとして頭からこの文章読んでみると、客観的に病んでるし支離滅裂だなって思う。 でもこれがリアルな頭の中なのです。ずーーーーーっとこんなことばかり考えてたらしんどいわ。 それも数十年前から。

生き辛さ団体の教祖になれるかもしれない。