雑念の供養

いつかどこかの誰かのために。遠くて深くて届かない声の記録。

器の完成は

34歳

幼い時は想像していただろうか。幼少期の記憶や経験がこんなにも自分を苦しめることになるなんて。 いまだに「死にたい」と同居してる。 自分を肯定するために作られるはずだった器は破壊と再生を繰り返してる。

いつまで経っても器は完成しない。「穴の空いたバケツ」どこかで見たセリフだけど、 これほどピッタリ当てはまる言葉はない。 未来を見て生きていたいのに重すぎる過去に邪魔される。

今日もまた、倒しても倒しても倒しても蘇ってくる過去に苦しめられている。 過去を修復しないと先に進めない。 どれだけ偽りの言葉や考えで器を埋めてもすぐ壊される。

でも本物の器はもう手に入らない。二度と。

どうしたら埋められるだろうか。どうしたら頑丈の器が後追いで作ることができるのか。 そんなことを考えるのはもうそろそろ終わりにしたい。

どんなに言語化能力が高くても どんなに伝える力がすごくても これまでの苦労や気持ちを他人に理解してもうらうのは至極困難なことだと思う。

でもそれはあまりにも悔しい。だから今日からこうして少しずつ言葉の武器を作ってみようと思う。 少しずつ着実に一つ一つ言葉に残していけば、 いつかどこかの誰かに伝わるかもしれない。救えるかもしれない。

もしいつか自分が本当に死んだ時、誰かに見てもらえるかもしれない。 そんな時に何万分の1の理解でもいいから、辛かった気持ちを拾ってもらえたらそれでいい。