言語化能力の欠如と生き地獄
この生き地獄の諸悪の根源は、言語化能力の著しい欠如によるところがある気がしてならない。 幼少期に自身の感情表現や日常の出来事を話す機会を根本的に奪われていたことが主要因と考えられる。
故に大人になった今、様々な場面でこの言語化能力の欠如による悪影響が目立つ。 例えば、社内外のコミュニケーションや人間関係改善のための背景説明。 自分がAという事象に対して、何をどういう風に考えていて感情的にはこういう風に思っていて等の大事な表現能力が著しく低い。
そのため、言語化できていない感情や想いが全く相手に伝えることができずに、 誤表現してしまい曲がった方向で意思や意図が伝わってしまうことは日常茶飯事。
最終的にそのツケは自分自身に回ってくるので、二重にストレスがかかってしまう。 具体的には、自分の感情を言語化できていないストレス、相手にうまく伝えることができないストレス。
しかしながら、周りの人達からすればそんなことは知ったことではない。 その瞬間に伝えることができなければ、終わりだ。
この文字では伝えることができない、溢れてくるほどもどかしい気持ちが募っている感情のやり場に困る。 こういうったことがきっかけで、「自分は価値がない」とスイッチが入り、 地獄ループの負の感情の渦へと飲み込まれてしまい、抜け出すのに相当時間がかかる。 正確には「一時的に」抜け出すということではあるが。
生きるって難しい。 こういった文章も哲学的に思われるかもしれないが、全く持ってそういった意図はない。
ただ、何も負の感情を抱かずにシンプルに楽しく生きたいけれど、 過去や自分の染み付いてしまった考え方や性格が邪魔して、そうさせてくれない。 そういうマイナス方向に自分が無意識下に進めてしまっていることは否めないが、 逆を言えば、こうでもしなければ今まで生き延びることはできなかったから、ある意味正義ではある。
このジレンマを他人が理解するのは難しいし、理解させるだけの言語化能力があったとしても 伝えられる自信がない。
だから全てを自分が背負い込んで、もうすべてを終わらせたいという思考が常に頭の片隅にはある。 というか毎日思っている。
生きるとはなんだろうか。 意味はないけれど、意味はないのであれば、もう少し生きやすくしてはくれないだろうか。
心の闇
やばいやばいやばい。 また◯にたい発作だ。もう本当に嫌になる。頭ちぎりたい。
ただ、これで精神科に行って薬もらって思考停止させるのはちょっと違う。 カウンセリングもいく気力や続ける体力が無い。
心が常に重い。果てしなく重い。 真の感情がわからない。そんなものは幼少期に捨て去ってしまった。2度と手に入らない。
自ら不幸になることを望んでいる、あるいは選択してしまっている思考回路壊したい。 決して好きでこうなっているわけじゃないのに、この思考回路の基盤が強靭すぎて容易には破壊できない。
だからこうして発作が起きてしまったときは、頭で自己完結するのではなく、 文字にして自分の感情をぶつけることにした。
ゴミすぎる自分、クズすぎる自分、どれだけ褒められてもそうとしか思えない。 否定することで自分を肯定してきた人生。なんて悲しくて不幸せな選択なのだろうか。
悲劇のヒロインを演じているわけでも、演じたいわけでも1ミリも思っていないのに。 どうしてこんな思考回路しかさせてくれないのだろう。苦しい生きづらい。泣くにも泣けない。
一生こんな気持ちが支配する人生なら、本当にいらない。 でも本心は生きたいんだよ。ただ、この気持ちや考え方をしてしまう人生はいらない。
もう2度と手に入らない親からの承認欲求や愛情に飢え続けて死ぬと考えると非常に悔しい。 打ち勝ちたいけど、勝てる気がしないんだよ。
いつも孤独に闘ってる。誰も知らない誰も見ていないところで自分自身と。 ライフはとっくの昔にゼロになっているのに、それでも何度も何度も這い上がって闘ってる。
血反吐吐きながら、ボロボロの精神状態になっても1日も休むことなく、負の自分と闘ってる。 不毛でしかない。何もしたくない。いいかげん普通に生きさせてくれ。 いや、だめだ。いっそのこと誰か◯してくれ。
推敲しようとして頭からこの文章読んでみると、客観的に病んでるし支離滅裂だなって思う。 でもこれがリアルな頭の中なのです。ずーーーーーっとこんなことばかり考えてたらしんどいわ。 それも数十年前から。
生き辛さ団体の教祖になれるかもしれない。
生きづらさの窮地
ダメだ。 理想と現実のギャップにやられてしまいそう。 しんどい。
既婚なのに妻に満足な生活とか理想の生活提供してあげられなくてごめんって気持ちだったり、 他の同世代と比べて職歴ボロボロ低収入になってしまった現実だったり、 10年前に抱いていた構想や計画が全て崩れてしまったり・・・。
あの時ああだったらな、とかこうしていればな、 などといった気持ちや行動の起源を振り返ると全て親に帰結するんだよな。
だからいつまで経っても親問題が頭から離れない。 未来を築くためには過去をしっかりと振り返らなければいけない。それがしんどい。
そもそもの行動を全て振り返ってみると、 「親に認めてもらいたかった」 これが全てなんだよね。
親父からは何もかも否定され、精神的にきつい言葉を日々受けていて、思考を持つことや意見することが怖かった。 それが悪だとも思っていた。本気で殺してしまおうかと思ってしまったこともある。
一方、祖母と母は過干渉で地獄だった。 すべての行動が奪われてしまい、本当に自分1人では何もできなくて自信を持つことができないクズ人間になった。 父の悪口を日々言われ、悪だと思っていた。いざ大人になってみると、こっちのが悪だと思うけどな。
だから、本当にただの肉の塊だったんだよ。俺の20代は。 30代になってようやく自分の意思が持てた。 本来人が経験すべきだったことを、いまこうしておそばせながら体験しているって感じ。錘をつけながら。
しんどいしんどい。本当に助けてくれ。 何もかもから逃げ出したい。消えてなくなりたい。これが本音。 普段の自分の姿からは何一つ想像させないし、こんなことは言わないけど。
映画や本の世界に逃げてきた。 ひたすら頭の中の世界観を構築することで、何とか自我を保ってきた。 誰にも邪魔されない唯一の安全圏。
30数年間、毎日こんなことばかり考えて(考えてしまう)生きてる。 ああ生き辛い。
世間で流行っている言葉で、自己責任や親ガチャって言葉だけで片付けるには軽薄すぎる。 「過去ばかりみるな」「思考のせい」「考え方の違い」 正論なのもわかるけど、それができるならば苦労はしない。
死にたくても死にきれない。生きたくても生ききれない。 中途半端な地獄が続いていくのか。それとも少しはマシになれるのか。 こんなことばかり考える感情を抹消したい。
1%
何度かカウンセラーに通ったことがある。 やはりプロなだけあって、話す内容とかスーって入ってくるし、言われることも的確で心地がいい。
方向性としても基本的にプラスになること、もしくはプラスの方向にむかっていくように話しているので、 結果的にどのカウンセラーに当たっても、最終的に言われる内容は似たり寄ったりだった。
「少しずつ」でも毎日の考え方やできたことが積み重なれば、 長期的に見たときに、それは散り積もでかなりのプラスになっている。 それは自分では気づかないけれど、振り返った時にとても大きな変化となっていると。
言葉では理解できるしとても正論だと思う。 しかし、我々のような人種にそれを腹落ちさせるのは至難の技だと感じる。
なぜなら、物心ついた時からのマイナスの積み重ねが大きすぎて、 取り返しのつかないところまで精神的にやられてしまっている、あるいは考え方になってしまっているから。
だから我々は何か大きな改善やアクション一つで劇的にプラスに持っていけるような、 魔法のようなものを無意識的に探し求めているのかもしれない。
せっかく色んな努力をして積み上げてきたプラスも、この強靭なマイナスに打ち負けてしまう。 マイナスの複利が大きすぎて、今更始まったプラスの複利だと時間のアドバンテージがあるため追いつけない。
私の思考はいつもこのプラスとマイナスがせめぎ合い、 基本的にはマイナスに負けてしまっている。当たり前かもしれない。
でも、そんな自分でも最近思うことがある。 一言で自分を被害者ヅラして負けてしまうことは簡単だし、マイナスに流されるのも簡単。 そしてそれを周りのせいにして逃げることも簡単。
なぜならそうやってこなければ、ここまで生きてこれなかったから。 いつまでも同じ場所に居たくないから、もがいてるんでしょ? なんで思考してるの?何のために思考してるの?
そんな少しの闘う意思があるから、フッと吹けば一瞬で消えてしまうような火だけど、 それさえも消してしまったら人間ではなくなる気がする。
一生努力しても叶わないかもしれない。 ただ、少しでも前に進もうともがいている自身に酔って希望を見出すのもいいかもしれない。
1%をマイナスの複利とするのか、プラスの複利とするのか。 いま、その選択をした、その思考をした、その発言をした、その行動をした、
これらすべて自分で「選んでいる」ことを認識した方がいい。 自戒を込めて。
器の完成は
34歳
幼い時は想像していただろうか。幼少期の記憶や経験がこんなにも自分を苦しめることになるなんて。 いまだに「死にたい」と同居してる。 自分を肯定するために作られるはずだった器は破壊と再生を繰り返してる。
いつまで経っても器は完成しない。「穴の空いたバケツ」どこかで見たセリフだけど、 これほどピッタリ当てはまる言葉はない。 未来を見て生きていたいのに重すぎる過去に邪魔される。
今日もまた、倒しても倒しても倒しても蘇ってくる過去に苦しめられている。 過去を修復しないと先に進めない。 どれだけ偽りの言葉や考えで器を埋めてもすぐ壊される。
でも本物の器はもう手に入らない。二度と。
どうしたら埋められるだろうか。どうしたら頑丈の器が後追いで作ることができるのか。 そんなことを考えるのはもうそろそろ終わりにしたい。
どんなに言語化能力が高くても どんなに伝える力がすごくても これまでの苦労や気持ちを他人に理解してもうらうのは至極困難なことだと思う。
でもそれはあまりにも悔しい。だから今日からこうして少しずつ言葉の武器を作ってみようと思う。 少しずつ着実に一つ一つ言葉に残していけば、 いつかどこかの誰かに伝わるかもしれない。救えるかもしれない。
もしいつか自分が本当に死んだ時、誰かに見てもらえるかもしれない。 そんな時に何万分の1の理解でもいいから、辛かった気持ちを拾ってもらえたらそれでいい。